母子家庭マニュアル

母子家庭の手当を活用しよう!シングルマザーの貧困生活マニュアル

母子家庭で育ったハーフの男の子

2016/06/19

母子家庭というだけで寂しい思いをしているのに、
中国人の母に育てられ、十分な教育を受けられなかった
子供の奮闘記があります。

ハーフの子供が日本で生き抜く厳しい現実

私は母が中国人のハーフで、母子家庭で育てられた男です。
母は離婚後も日本に残りましたが、私は2歳のときに
中国にいる祖父母に預けられました。
それ以降は母と会うのは年に1回ぐらいでした。

母は遊び好きな人で、中国よりも日本が楽しいと
言っていました。
中国に帰るのも祖父母に催促され、嫌々帰ってくるような
感じでした。そのため母のことは未だに好きではありません。

小学校では母が保護者会などに来ないので、
軽いいじめに合っていましたし、
他の子が羨ましいと思うことも多かったです。

中学2年になると日本に戻り、母と二人で暮らすことに
なりました。最初の数ヶ月はあまり話をしませんでしたが、
半年くらい経ってようやく打ち解けてきた感じです。

でも相変わらず子供にはあまり関心がないらしく、
3者面談や進学説明会などには参加してくれませんでした。
中学3年のとき、進路は全部自分でを決めたのです。

高校生になってからはバイトをするようになり、
帰ったら寝るだけで、母あまり話をしなかったです。
生活費や学費は払ってもらっていましたが、
心の中では養育放棄されていると思っていました。

高校2年のときにインフルエンザにかかったときのことです。
普通の風邪よりもツラく熱も39度以上あったにも関わらず、
「寝ていれば直るよ。」とだけ言い残し、
夜遊びに出掛けました。
翌朝、母に文句を言うと、

「もう身体は大人なんだから、体調管理は自分でしなさい。」

と言われました。
その言葉に優しさは全く感じられません。

高校3年になり大学進学の話になりました。
私は理工学部に進学したかったので、母に相談したところ、
「経済にしなさい。」と言われました。
理由はママ友同士の話で、経済学部出身者に社長が多いから
だと言いました。
しかも学費は奨学金を借りて自分で返しなさいとのことでした。

どのみち自分で学費を払うならと思い、自分の進みたい学部を
選びました。それ以来母には何も相談していません。
希望する大学を決めたとき、大学に合格したとき、
それぞれ母に報告しましたが、母は一言だけ。

「自分の道は自分で決めなさい。」

おそらく一般的な母親が同じことを言ってくれた場合、
子を応援する意味になると思いますが、
うちの場合は単なる子育ての放棄です。

母と日本で暮らすようになってからは、家で一人でご飯を食べ、
一人で勉強し、一人で遊ぶことがほとんどでした。
とても寂しい思いをしてきたことは今でも忘れません。

現在は大学生活を満喫していますし、
優秀な成績を収めています。

振り返ると、50音も知らない状態で日本に中学校に転校し、
日本でやっていけるよう必死に努力してきました。
そのおかけで自立心は強くなったと思います。

ただ、母の教育方針は今でも認めたくはありません。
私が将来結婚したら、妻と仲良くし、
絶対に子供を母子家庭の子にしないよう心に誓っています。

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